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Factory 工場の歩み

(株)ドゥ・ワン・ソーイングの前身は、1952年、大阪市東成区今里に誕生した、 シャツ専門の土井縫工所でした。腕の良い職人が妻と2人ではじめた小さな縫製工場は、 昭和から平成の時代の荒波を乗り越えながら次第に力をつけ、今、強固な生産体制や、 6つのブランドを要するシャツアパレルに成長しています。


1950年代
  • 1952年 土井縫工所 大阪市東成区今里にて創業。

  • 1953年 作業所を大阪市生野区猪飼野に移転。

  • 1957年 作業所を生野区舎利寺に移転。

ここで昭和のものづくりが生まれた

創業者の土井好(よしみ)は1920(大正9)年、香川県坂出市生まれ。貧しい家庭の11人兄弟の次男として、こどもの頃から一家の生計を助けるために働き、17歳で大阪に赴いてシャツ縫製の修行をはじめた。太平洋戦争で召集され、戦後復員ののち結婚。再び大阪で、当時、腕の良いシャツの仕立屋として知られていた竹田軍司氏に師事。 このとき好が学んだ本物のシャツの縫製技術や職人気質のものづくりの精神が、現在のドゥ・ワン・ソーイングのルーツになっている。昭和27年、恩師、竹田軍司氏に勧められ、32歳で独立。東成区今里の14坪の自宅兼作業場で、妻、アヤ子と「土井縫工所」を創業した。
師匠仕込みの腕の良さで注文が殺到し、職人も10名に増え、翌年には2倍の広さの作業所に移転。 さらに昭和32年には72坪の自宅兼作業所に移転。創業5年で縫工所は5倍の広さに拡大し、従業員も25名に増えていた。
創立者 土井好

 

1952 (昭27) 創業当時

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1960年代
休みは月に2日、高度成長とともに発展

生野区舎利寺の72坪の家屋には、二階にミシンと裁断台、アイロンなどをかける作業台が並んでいた。 好を筆頭とする男性の縫製職人と、妻のアヤ子を筆頭に縫製前の裁断生地をアイロンで整える下張り担当の女性たち、 総勢30人あまりで、1日500枚のシャツを縫い上げた。ときは高度経済成長期で、 老舗のドレスシャツメーカーや在阪の一流シャツメーカーから対米向けシャツの縫製の注文を受け、 家族も職人たちも月休2日制で朝8時から夜10時まで懸命に働いた。 右肩あがりの経済状況の中、工場が一丸となって未来に希望を託していた。

バス旅行
1957(昭32) 作業風景

 

休日のワンショット

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1970年代
昭和中期、ファッションの多様化で縫製の注文も変化

昭和40年代に入ってからは、対米向けシャツに加え国内向けの高級ドレスシャツも縫製の注文が増えるようになる。 土井縫工所のていねいな仕事ぶりは変わらぬ評価を得ていた。同時にファッションの変化とともに、注文が細分化し、 大人数で1日500枚のシャツを仕立てる必要はなくなってきた。また、当時は職人が一人前になれば独立するのが常で、 この時代、土井縫工所からも多くの職人が巣立っていった。

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1980年代
  • 1982年 法人改組 株式会社ドゥ・ワン・ソーイング設立

  • 土井重城が代表に就任

  • 本社を大阪市東成区中本3丁目に移転。従業員40名。

社名を変更し新体制がスタート

学生生活ののち、企業に入社し企画や営業の経験を積んでいた創業者の2人の息子が、昭和57年に二代目社長と専務取締役に就任。 きっかけは、スタイルや品質にこだわった新規のシャツブランドから縫製を依頼されたこと。 縫製工場も新体制を整えるべく、東成区中本にビルを構え再スタートを切った。 社名を「DO-1 SEWING INC./株式会社ドゥ・ワン・ソーイング」と改め、 独立していた職人たちも再び集まり、新体制でのものづくりがはじまった。
土井重城 二代目代表 (2012撮影)

 


1994 (平6) 当時緑橋社屋

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1990年代
  • 1990年 岡山県玉野市明神町に岡山工場を新設。

  • 1994年 東京都中央区日本橋本町に東京事務所を開設。

最新の縫製ラインを備えた工場

必要な枚数を必要なときに、迅速に納品できる生産体制を整えるべく、岡山に工場を新設。 ファッションや消費者のニーズの多様化に伴い、多品種、小ロットの生産に迅速に対応できる体制を設けた。 新規のシャツブランドをはじめ、繊維メーカーが提携する海外ブランドのドレスシャツや、 上質なドレスシャツを企画販売するアパレルメーカーからの注文も順調に増えていった。 と同時に、生産のみでなく、それら海外ブランドのドレスシャツを百貨店や専門店に販売する会社も起ち上げ、東京に事務所兼ショールームを開設した。

岡山工場の作業風景
1990 (平2) 岡山工場

 

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2000年代
オリジナルブランド開発への序章

各種メーカーから注文を受けて生産する体制は、つねに待ちの状態にある。 加えて、多品種・小ロットの注文が増え、大量ロットの注文は新興国の工場に流れてしまい、 縫製の下請けだけでは売上に結びつかなくなってきた。 そこで、当時の取締役社長の弟で専務取締役であった土井順治は、オーダーシャツの展開を試みる。 自社企画によるドレスシャツを提案し、そこにオーダーをいただくOEM方式だ。折しも平成15年、経済産業省が、こうした工場自らがマーケティングや商品企画、販売までを行う新たなビジネスモデルとなる事業を支援するべく「中小繊維製造者自立事業」を実施。500社あまりが計画を練って申請する内、採用にいたった100社の中でも、マーケティングや企画・販売体制の強化などに助成金を役立てたドゥ・ワン・ソーイングは見事に結果に結びつけ、成功例のひとつとなった。 上質な素材と技術で提案する製品はお得意先のアパレルメーカーからの受注が相次ぎ、売上が順調に伸びていった。
平成19年には大阪を代表する官公庁街である中央区のオフィスビルに本社を移転。
  • 2007年 創業者、土井 好 死去 享年87

  • 2008年 大阪市中央区久太郎町に本社移転。従業員70名


岡山工場にて


ビル最上階の本社/エントランス

 


本社ショールーム

 

 

岡山工場にて

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2010年代
  • 2010年 東京都中央区築地に東京営業所開設

  • 2011年 土井順治が取締役社長に就任
  • オリジナル・ドレスシャツブランド「土井縫工所」誕生。
  • 同時に同名のオンラインショップがスタート。

  • 2014年 東京営業所を築地新富町から表参道に移転。
  • 支社兼ショールームとして展開。

  • 2015年 阪急メンズ大阪に「土井縫工所 Made To Measure」
  • 常設店を初出店。

オリジナルブランド開発から世界へ

創業者である好の職人魂を受け継ぐ二代目、重城から、より企画や営業面に視野を広げる順治へと、社長が交代。 近年は最高級のドレスシャツからカジュアル版やレディースなど6ブランドを展開するシャツアパレルに成長。 完全自社ブランドとしてドレスシャツを注文生産する『土井縫工所』もオンラインでスタートした。 土井縫工所が60年以上に渡り培って来た縫製技術とものづくりの精神はそのままに、上質なドレスシャツを企画生産し、 より理想的な素材を求めて紡績会社と共同開発するなど、シャツ作りの最高峰をめざす。
今後は、地球の裏側からの注文にも迅速な生産と発送でお応えすることはもちろん、 ご希望通りの仕上がりを可能にするオーダーシャツのシステム作りを目標としている。 これまで多品種・小ロットのニーズに対応してきた生産体制を生かし、より細かく 多様化する要望にお応えするカスタムメイド品を、さながら大量生産のような安定した条件で実現すること。 企画力や営業力、あるいは神通力、さまざまな能力を備えた人材に恵まれ成長してきたドゥ・ワン・ソーイングが、 今、見据えているのは、こだわりの特注シャツを注文通りに仕立てる、職人の技と精神を備えたオートメーションラインである。 人と、進化した器械が製品を織りなすファクトリーから、世界を目指して続々とシャツが飛び立って行く。

東京営業所
土井順治 三代目代表 (2015撮影)

 

土井縫工所オンラインショップ

 

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